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白端硯の鑑定と観賞

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白端硯の鑑定と観賞
端州新聞社  作者:謝明

 白端硯の石色は雪のように白く玉のように滑らかであり、紫色を主調色とする端硯の中でも特別な種類として卓然として収蔵家たちの注目を集めている。この白端硯は肇慶の端州の有名な景勝地である七星岩からうまれる。昔から採石が厳しく定められていて制作された数も少なく、世に出るものは稀である。また全国各地で白石硯は多く産出されていて白端硯と相似しているので鑑別は難しく神秘的な感覚も伝わりにくい。

 端州の琢硯の芸術家が言うには昔の端州七星岩の白端石をし始めたのは宋代の頃らしい。しかし硯専門の書籍には白端は朱墨用に明代の万歴のころには文房四宝として盛んに使われていたと明代の万歴時代の文房四宝の学術家の屠隆が≪考磐余事≫で述べている。さらに“朱硯:或用白端亦可”とあり、これは明代の末期以降から清代までの書物に多く記述されている。例えば清代乾隆時期の陳齢による≪端石擬≫には“七星岩産石名白端、色白如雪、作朱硯最佳”とある。朱硯は朱砂墨、顔料や彩墨専門の硯であり白石が多く使われ、朱紅など色彩のあるものが濁らなく綺麗におりる。白端は雪のように白いだけではなく地質も細かく滑らかで潤いもあり朱硯として最高の硯である。清代の嶺南地方では女性の化粧品の材料にも使われていた。清代の嘉道年、江藩の≪端研記≫には“白端石、肇慶府七星岩石也・・・・其最白者砕以為粉、婦女用敷面、名旱粉”とある。旱粉は干粉ともよばれ“端州の干粉”と“恵州の眉墨”そして女性が眉を書く時に使う顔料の“始興の石墨”の三つが清代の嶺南地方では有名な化粧用品であった。これ以外に白端石は観音菩薩、仙人や仏像などの彫像にも使われる。

 白端石は肇慶七星岩の特有のものでこの中に七星岩と同列の玉塀岩もある玉塀岩は白石で玉のようであることから、この名が付けられた今なお玉塀岩がある山上山下で古人が白端を掘った遺跡があり、山上は玉皇北側の叮咚井戸と双珠小道、山下は登馬鞍の東屋で西側の大きな広間のような洞口にある。また叮咚井の白端は最も優れていて清代の端州干粉で制作された白端は名声を轟かせ、彫琢された白端硯はもっとも白く滑らかなものであった。叮咚井の広さは約1メートルで長さは数メートル、深さ約10メートルの狭い坑であった。古人が採石するには限りがあった。このため整えられた完璧な硯は滅多にお目にかかれなく珍品中の珍品であると言える。

 厳格な場所で採石された白端石の素晴らしい石は、玉のようにきめ細かく雪のように純白で少しの汚れにも染まらない雑質のまったくないものである。普通の白端石は同じ肇慶の七星岩で取れるが質は少し粗く、色もそこまで白くない。石中には赤黒い石紋が混じる白錦石である。陳齢は≪端石擬≫で“七星岩・・・・有花紋者為白錦石”といって江藩の≪端研記≫では“白端石・・・・其質理粗者為柱礎、海幢寺佛塔、将軍署前石獅皆其石也”とある。質が良いものと粗いものと二種類の白端石古硯の値段を比べると優れているものは粗いものの5倍から10倍にもなる。

 現在残っている白端古硯は形制、工芸、風格と墨のさび付き方を見ると明清代のものだと思われる。ある白端古硯は四足で如意池の白端硯、長さ27,3センチ広さ20,7センチ高さ8センチで白端石硯の中でも大きなものである。墨池は如意形、硯側に線刻で装飾があり四足で重厚な作りである。これは典型的な元代の遺風があり明代の早期の風格でもある。これは元代の末期から明代の初頭のものだと言える。この時期は戦乱が続き七星岩の採石の規律が緩み大量に白端石を採石するチャンスが訪れた。これは上述した端硯の芸術家の白端硯が宋代(南宋の末期)から始まったという説とは差があるが、明代の書籍に記述されているものとは一致している。

屠隆の≪考磐余事≫を見ると明万歴年、万歴已亥年すなわち万歴の中期に七星岩の遊覧区の中心の最も目を引く場所に総督が両広(広東、広西)の軍を引き連れ副官の李開芳が書いた“岩石勿伐、澤梁無禁”という言葉を高さ3メートル広さ1,62メートルの文字を岩壁に彫り規律を厳しく人々に警告をしたとある。屠隆が述べている白端はすべてが当時に出現したものではなく以前から存在していたものもある。万歴後ほどなく明代の末期、清代の初頭、朝代に入りさらに戦争状況が悪化した年代になり規律や警告は緩み、これにより大量で大規模な白端の採掘が加速した。この時期の≪広東新語≫には当時、肇慶で千を越える住民により白端が採掘、制作されているとあった。今残っている白端古硯と白端器物の中の多くはこの時期のもの、及び清代の前期中期のものである。例えば白端團鴨硯、方円両小硯などがこれにあたる。七星岩の白端が採掘された遺跡、玉塀岩の叮咚井や双珠小道はこの時期に採掘された跡は多くある。

 近年露天の骨董屋では広西白石で作られた白端でいっぱいであるが広東、肇慶との比較はさほど難しいものではない。広西白石は明らかに白いが質が粗く乾燥していて滑らかではない。斑晶が容易に見て取れるし少し透明感がある。白端は細かい粉が凝縮したようで透明ではなくしっとりとしている。肉眼では広西白石のように斑晶は見えない。両者の値段の比較も天と地との差がある。